2015年03月22日

女子、堕落すべし

先週は駒ヶ根でRちゃんの高校卒業祝い。

 
彼女自らが作った野菜をふんだんに使った料理がテーブルに並びました。


そして花びらをデコレーションしたケーキの差し入れ。

翌日、還暦世代のご婦人の方々とお会いしたら「私達は、平塚らいてうや青鞜を読んだのに、今の若い女の子は本もまともに読まない。」

私が、教育環境の問題として指摘しようとしたら間髪いれずに「違う」と指摘されてしまいました。


今だに彼女達の教育を始めとする社会環境は、圧倒的多数の男性に決める権限が与えられてるのに。

そこを変えることも出来ずに、少子化で少数派の若い女の子を批評したり批判しちゃう。

彼女達は、フェミニズムの文学を読んでも、その思想を日常生活では活かせてないんだろう。

らいてうや青鞜の感性を自分のものに出来てない。

若い女の子を男性社会の生きずらさから解放するどころか、男性の差別的な価値観に無自覚に加担してしまう。

シスターフットする力が彼女達にはない。

私達以上に家父長制の影響が強いのかもしれない。


これはもう男性がもっと自ら率先して、差別をやめ、きちんと女性を人間扱いしていくしかない。

私も青鞜やらいてうは読んだことがない(本は読む)。


私達や日本の若い女の子は、多分らいてうや青鞜読んだ方がいいかもしれない。


自由に本を読める権利があるなら、読んだ方がいいかもしれない。

でも義務ではない。
他人から強制されて読むものではない。

読むなら自分の楽しみや人間らしく生きる権利を得るに読みたいし、読んで欲しいのです。


男性や年配女性の無自覚や差別に晒された時、そこから自由になりたい。

そう思った時に、読むのが1番かもしれない。

今の若い女の子たちは、これ以上苦労して戦って苦い思いしないでも、思いっきり仕事や恋愛や趣味を楽しんだらいい。

そのためにこれ以上、女性差別が酷くならないよう、1日も早く男女が平等になるよう努力するのが大人の仕事だと、私は思う。

Rちゃんの努力の結晶である野菜は、とても美味しかった。

彼女はこれからも頑張っていくんだろう。
これから、もっとその努力が正当に評価される社会にしていきたい。







 


Posted by rejse at 22:14 | ジェンダー | 日常生活